長かった。あ~読み応えがあった。韓ドラ10本見終わったくらいの達成感だわよ。
千ページというこれ、読了に一か月かかったわよ。
そして、長いのは、文章の量としてだけじゃなかったのだよ。
その一文一文、それも長かった。
ワンセンテンスが超、長い! 例えば、こうである。
大概の大商店が株式組織になった今日では、「番頭さん」が「常務さん」に昇格して羽織前掛けの代りに背広を着、船場言葉の代りに標準語を操るようになったけれども、その肌合なり気持ちなりは、矢張会社の重役というよりも、お店の奉公人であって、昔はよくかう云う風な、腰の低い、口の軽い、主人のご機嫌気褄を取ることや人を笑わせることの上手な番頭や手代が、何処の店にも一人や二人はいたものであるが、井谷が今夜此の人物を加えたのも、座を白けさせないようにと云う心づかひでもあったことが察しられた。ひゃ~、ものすごく一文が長い。句点がない。どこで息をしたらいいかわからない。
でも不思議と、するするっと読める。素麺を、さ~っとすすれるように、読める。
林真理子氏著「林真理子の名作読本」によると、
「とろとろとぬるく甘い飲み物を口にするように、すうっと心地よく読める小説」だそうだ。
この調子で、たらたらっと、「細雪」のお話しは進んでいく。
太平洋戦争直前、大阪芦屋に住む、
大商家のお嬢様たち四姉妹の、
結婚やお見合い、ふしだらな恋愛などなどが、その豪華な生活ぶりと共に、
ほぼ大体、次女の幸子の視点から描かれている。
特に大事件が起こるわけではない。
三女の雪子のお見合い相手の家柄や財産がどうだの、
こちらが良いと思うと不手際で断られてガッカリだの、
みんなでお花見に行って綺麗だの、
四女の妙子が結婚していないのに妊娠しただの、
あ、これは大事件だ!大病して恋人が亡くなっただの、、、、、
あ、これも大大事件だった!そんな日々の出来事が、ああでもないこうでもない、とツラツラ並べられている。
金持ちの女性のボヤキ、といったらいいか、そんなものの羅列、なんだけど、
ワンセンテンスが長い文章であれこれと物語をたどっていくと、
いつの間にか、まるで
自分がその小説の中に登場しているかのように、感情移入してしまうところが凄い。
どうでもいいじゃ~ん、と、思わせないところが凄い。
丁寧に長々と心情を吐露され続け、まるで親しい女性たちがそこにいるような
気になるのである。
秘密の打ち明け話を聞いている気がしてくるのである。
そしてラスト近く、お金持ちの女性たちを、
すっかり、自分の親戚か友達のように思えるようになるくらいになって、
物語全体に
不穏な雰囲気が漂ってくるのである。
はっきり文章に不幸な事実が現れるわけではない。
けど、わかる。
ああ、こんな有名な小説に
ネタバレも何もあったもんじゃないと思うから、ちびっと内容を書いちゃうけど、
婿である夫の転勤で東京に転居した
長女の鶴子は、生活に困窮していく。
大富豪の家に生まれたのに、時世柄、動産が紙切れ同然になってしまい、
肌着を譲ってくれないかと妹に手紙を出すくらいになる。
物語の主人公とも思える
次女の幸子は、すぐ下の妹が嫁ぎ、
その下の妹がふしだらな出産(死産)の後、家を出ていき、
長年の気心知れた女中が縁談で実家に帰り、
ひどく寂しがっている。
結婚しないまま、バーテンダーの子を孕んだ(死産)
四女の妙子は、
世間体を重んじるために、婚礼の支度もなしに、
バーテンダーとの結婚、同居に踏み出すが、
家に自分の荷物を取りに戻るのさえ、こそこそっとなのである。
そして、これだよ、これなんだよ。ここポイント。
ポイントは
三女の雪子。
何度も何度も見合いしてやっと子爵さまの子との結婚が決まった雪子だよ。
結婚のために東京に発つというその日、
下痢が止まらないのである。
読者は、三女の幸子が、かなりの性格の変わっている、
わがままな娘であることを知っている。
自分の婚礼に義理の兄や姉が奔走してくれても、感謝の気持ちなんて
全然持たない。
そのうえ頑固、しかし引っ込み思案。見合い後に自分の意思を伝えることすら、躊躇する。
結婚前は、すぐ上の姉、幸子が、彼女の気持ちを推し量って、なんでもしてくれていたが、
今後はそうはいかない。
相手は華族さまのボンボンだし。自由人だし。
その結婚は、なかなか難しいということは目に見えるようだ。
下痢しているのは、その暗示?
下痢が止まらないことを表記して、長い小説は終わる。
時代は太平洋戦争直前、これから大変な時代がやってくる。
のんびり鷹揚としたこのご婦人たち、愛すべき女性、
美しい着物、美食、観劇、風流な庭、すべて壊れるだろう、破滅。
破滅が暗示されるラストだからこそ、物語全体の美しさが輝いているように思う。
不気味に。
不気味というのは、一種美しいというのを学んだわ。
雪のシーンが全く無いこの小説。題名が「細雪」。
これから雪が降るのだろうか。
ただし大雪ではない。細い雪なのだ。たぶん、鋭く冷たい雪なんだろうけれど、
大雪ではない。意味深だなあ。
本の後ろのほうに、谷崎潤一郎氏自らの回顧録があったので読んでみると、
この小説の題名は「三姉妹」か「三寒四温」にしようと、氏は思っていたそうである。
内容と合わないなあ、と思い、咄嗟に「細雪」という字面を思い出したとのこと。
「細雪」という言葉が好きで、何かの折に使おうとは思っていたからというが、
なんとも、ぴったりで美しい題名が、そんな風に決まったと思うと興味深い。
不思議な感じもする。
長く明けない梅雨の、日のささない暗い日中に読み、
ぬる~いお湯に長く浸かって、温められたゼリーのように、
自分がドロドロと溶けるような気分になれたよ。
ちっちゃな字に目が疲れて、目が一番に溶けそうだけれども。←老眼・・・
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ジャンル : 小説・文学
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