真田のお宝に遭遇
2019年09月25日
蔵王町に新米や梨や特産の里芋を買いに行った際、公共施設、「ございんホール」に寄ったら、何かのイベントをやっていて、大勢の子どもたちがビニールシート上の大きな紙(かな?)に、絵を描いていました。みんな、生き生きと賑やかで、子どもたちが元気なのは見ていて気持ちがいいなあと思っていると、その横の、ちっちゃな会議室みたいな6畳ほどのスペースに、ひっそりと仙台真田氏の家宝が飾られていて、びっくり!

↑ボケててゴメン



え~これって本物!えええ! こんな、玄関わきの、誰にも気づかれないようなところに・・・!
解説を読むと、幸村公ゆかりの品とありました・・・

大坂の陣で敗れた真田幸村。その子息を、伊達の殿様が徳川に隠れて養ったのは、心あたたまる良い話です。
徳川 には、大八 (幸村の次男) は、転んだ拍子にたまたまそこにあった大きな石に頭をぶつけて死んだ、と報告したって、ほんと?幕府も、そんなのウソと分かっていても、そうかそうかと、詳細を追及しないでいたって、それもほんと?
粋なことするなあ、伊達も徳川も。いい話だなあ。
絵を描くのも良いけれど、郷土の歴史をのぞかせてくれる貴重な具足などを、少しだけでもいいから、子どもたちは見るべきなんじゃあないかなあ。
偶然、お宝を見学できて、ラッキーだったけど、ちょっと残念な気もしたのでした。ま、価値というのは主観的なものですから。いいか。もしかしたら、子たちたちは、普段から穴のあくほど見ているのかもしれないしネ☆
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コメント
真田幸村は大阪にゆかりのある人物で終焉の地の碑があり
和歌山の九度山は本拠地で何となく身近に感じます。
その子を匿った伊達氏もそれを嘘と知りながら追及しなかった徳川も「真の男前」ですね~^^
きたあかり様
こんばんは。
伊達と真田の話はいい話ですね。
夏の陣のとき伊達は本気で攻めなかったとか。
やはり英雄同士で通じ合うところがあったのでしょうね。
愛新覚羅
ほう、伊達と真田そんな結びつきがあったのですね(^^)
知りませんでした(-_-;)
敵と味方のことしか知りませんでした(^_^;)
身近な歴史を知るって大事ですよね(^^)
米沢にも上杉だけじゃなく伊達の歴史もたくさん残ってますよ~
Re: タイトルなし
nohohonさん へ
大阪のゆかりの地、いつか訪れてみたいものです。大阪城にも行った事がないアタシです・・・
> その子を匿った伊達氏もそれを嘘と知りながら追及しなかった徳川も「真の男前」ですね~^^
悲惨な歴史に胸痛むこともありますが、いい話もありますね。ホッとします。(*^-^*)
Re: タイトルなし
aishinkakura さん へ
そう。戦国武将同士、何か通じるものがあったのでしょうかね。なぜかくまったのか、諸説ありますよね。徳川が文句を言うようなら、一戦交えるつもりだったとか。何がホントかわかりませんが、心あたたまる話として受け止めていこうとおもいます。
Re: タイトルなし
がちゃぴんさん へ
そうなんですね!さすが米沢。伊達の歴史もたくさんなんですね。行って見学したいものです。前に行ったときは、愛の兜を見て感激しました。そのほかに、旗なども、とても綺麗に残っていて、米沢の人が、先人の宝を大事にしていた心意気を感じました。(*^-^*)