大川小学校のこと
2016年10月27日
東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が学校側の責任を追及し、石巻市などに対し賠償を求めた裁判の判決が26日、
仙台地方裁判所で言い渡されました。
市の広報車が、小学校の前で、高台への避難を呼びかけていたのだから、
学校側は津波の来ることを予測できたはず。
2分で避難できる裏山がすぐそこにありながら、
50分も校庭で待機させ、さらに、裏山ではなく川の方に
避難させ、結果、津波にのまれた。
学校側の過失である。
裁判長は
市と県に対し、14億円余りの損害賠償を命じました。
津波で子供を亡くしたお母さんがインタビューされていました。
「いつも子供に、先生の言うことを聞きなさい、と言っていた。
子供は先生の言うことを聞いて、そして、亡くなってしまった」
先生の言うことを聞かないで、裏山に逃げていたなら、
子供の命は助かったのかも、
そんなふうに思うこともあったのではないでしょうか。
お父さんは、
「裁判で勝ったからと言え、子供は帰ってきません。
でも、真実を明らかにしてほしい、今後の学校防災に役立ててもらいたい」
そうおっしゃってました。
家族を失った人の思い、つらいです。
東日本大震災発生の時、アタシは職場にいました。
上層部が、社員を家族の住む自宅へ戻らせる許可を出したのは、
発生から一時間経ったときでした。
アタシは、当時中学生だった娘たちのことが心配で心配で、
許可が出たら真っ先に中学校へ行きました。
娘とはすぐに会えました。顔を見たら本当にほっとしました。
その場に倒れそうでした。
職場からは
「一時間で帰ってこい」
と言われていました。
当然、無視しました。大きな余震が続いています。電気もガスもストップです。
当時住んでいたボロアパートは倒壊の恐れがありました。
アタシは、職場の規則より、娘の命が大事でした。全く迷いませんでした。
同僚の中には、規則だから、と言って、職場に戻った人もいました。
小学生の子供二人を二人だけで
5キロも先のおじいちゃんの家へ、歩いて行かせたのです。
いろんな親がいると思いました。
その子供たちは、無事におじいちゃんの家に着いたそうですが、
あの状況の中で子供だけでいさせ、子供たちは
どんなに心細かったかと、アタシは思いました。
立っていられないほど、地面が揺れました。何度も何度も。
緊急事態での大人の判断、難しいですけどね。
いろんな例が挙げられますから。
もしかしたら、アタシの判断でアタシが行動したことで、
アタシが津波に飲まれるとか、危険な目にあったかもしれないし、
同僚の判断で同僚が子供をそうさせたからこそ、
命が助かったかもしれないのです。
不幸な自然災害が起こらないことを祈るばかりです。
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コメント
大川小学校の事は、いろいろこちらでも報じられていましたし、今回の判決の事も読みました。あれだけ大きな地震があった中で、川とはいえ水の方に近づいていく判断をしたのは、やはり間違いであったと思います。こちらでは裏山で倒木があって危険と判断したからと、新聞の記事でしたか、見た記憶があります。でもやはり1mでも高いところに上がることの方が大事だったと思うし、なによりももっと早い判断をすべきだったのではないかと思います。
きたあかりさんも大変な経験をなさったのですね。あの状況の中でお子さんの命を選択する事は当たり前のことです。大きな地震が熊本や鳥取で発生しています。不幸な自然災害は来ないでほしいし、来たとしても無事に生き延びることができる知恵をみんなで出し合っていけたらいいなって思います。
私もあの日、震度5の揺れを経験しました。
あの瞬間は建物が崩壊して死ぬんじゃないだろうかと一瞬 “死”を考えました。
本震の後も余震がおさまることが無くて、不安でいっぱいでした。
うちは津波の心配は無かったのですが、私が恐かったのは原発でした。
あかりちゃんが前記事で
> やみくもに、なんとなく怖がること、
> マスコミの感情的な報道をうのみにすることは危険なのだと思わされました。
と書いていますが、私が思ったのはまさにそれで、
マスコミは感情的な報道をする場合もだろうし、
正しいことばかり伝えるわけではない、と考えていたので
とにかく娘たちのことが心配で、娘たちを無理矢理連れて
4〜5日沖縄の実家へ帰りました。
様子を見てメルトダウンの心配は無いと完全にわかってから家に戻りましたが
職場へ戻ったら「大袈裟な人」となって笑われていました。
周囲の空気には、はっきり言って気分悪かったけど、笑わば笑えです。
大事に至らなかったからいいけど、もし放射能汚染という事態になって
あのとき避難していなかったとしたら・・・私はすごく後悔したと思います。
こういう危機の場合は、周囲に合わせていたら遅い。
自分の直感で判断し行動しなければと思っています。
すべてが指示待ちでは命を落としかねません。
あかりちゃんがお嬢さんたちと一緒にいたのは正しいと思います。
あかりちゃんの同僚の方のご家族に何も起きなかったからよかったですけど
もし万が一ということはあるものです。
後で後悔するようなことを選択してはいけないと思います。
そして、大川小学校の皆さんのこと本当にお気の毒です。
きたあかりさん、東北の震災で大変な思いをされていたんですね。帰宅されたお母さまも、お子さんたちも大事に至らず本当に良かったですね。大川小学校の判決も誰一人として喜びなどない、傷が癒されるわけでもない辛いことだろうと、コメントをされていた親御さんを見ていて感じました。涙を流しながら「どんなにかこわかっただろう」と話されたお父さまを見て胸がつまりました。もう20年も経った阪神大震災の日、大阪では、被害は少なかったのですが、保育園はもちろん休園、私も混乱して「職場に行かなくっちゃ」と主人と話し合って午前中は私が職場に、午後には帰宅して主人と交代しました。割れたガラスが飛び散るビル街の道を自転車で片道一時間かけて往復しました。でも帰るとお母さんが仕事に行ったという保育園のお友達がわが家に遊びに来ていて驚きました。おばあちゃんの家まで送って行きましたが、万が一を考えだしたら怖くて何もできないですが、何とも言えない気持ちになりました。
「てんでんこ」この言葉がすごく印象に残っています。
でも小学生には実行することが難しかったのでしょうね。
先生もあんな見たことがないような津波が来るとは思っていなかった。裁判の結果は結果として先生を責めないで欲しいと僕は思います。
「想定外」を当時批判する報道も多くあったけど、やはり想定外だったんだと思うし。
でもやっぱり、「空振り」になってもいいから早目の対応が必要だったんですね。
今年経験した熊本地震で我が家も震度6強を経験しましたがすごく怖かったです。幸いヒビが入る程度で済みましたが、知り合いの家は倒壊したり。そしてまさか2夜連続で起こるとは。もし昼間だったらもっと人的被害が出ていたと思います。2回目が特に。それは「想定外」の地震だったのでもし昼間なら、あの阿蘇大橋の崩落場所はいつも車が渋滞する場所なのでと思うとゾッとします。
「空振り」でもいいからアクションは早めにとったほうがいいですね。
ん~このコメントもあちこち飛んで支離滅裂、ごめんなさい。
3.11の時は、こちらの会社のビルも激しく揺れ、亀裂が入り、
本棚が倒れバタバタ倒れ、デスクまわりがぐっちゃぐちゃに崩れました。
すぐに交通がマヒして家に帰れなくなり、
家族への電話もまったく通じなくなりました。
後からわかったことですが、自宅の所沢でも激しく揺れ、
屋外に非難していたそうです。
震度4~5でもあんな状態だったのに、
そちらはとんでもないパニックだったでしょう?
第一に家族の安否を気遣うのは当然ですよね。
皆さんがご無事でなりよりでしたね。
仕事どころでないですよね。
学校の先生方もその時は最善の判断を下そうとしたのだと思います。
自身の命もかかっているのですから。
裏山の高台に逃げても、そちらに津波が来ないとは
誰にも予想できないですよね。
でも、こういう災害の場合、誰かが責任をとらないと
ならなくなるということでしょう。
判決の次の日に、石巻に行きました。
先日もコメさせていただきましたが、
もう3度目の訪問です。
仙台もこの一か月半で3回行きましたよ。
駅から出ていませんが(汗)。
官庁からの依頼で、石巻の水産業の復興のお仕事を
手伝わせてもらっています。
2両編成の仙石線の車両から見える陸前の風景は、
とてものどかで徹夜明けの体や目を癒してくれます。
でも、よく見るところどころに不自然な空き地が
あるのが目につきます。
このあたりも津波にのまれたんだな、と思うと
微力だけどもっともっと応援してやろうという
気持ちになります。
大川小学校の件は、考えれば考えるほど判断が難しいなと思います。
難しかろうがなんだろうが、子どもさんの命を最優先に行動されたあかりさんは、絶対に正しいと思います。
私の家族が大きな災害に直面したときに、どんな判断ができるだろう。
Re: タイトルなし
まりんさん へ
大川小学校の悲劇、とても悲しいです。
先生方も、どうしていいかわかんなかったのではないかと思いますが、
新聞報道によると、危機管理意識は低かったようです。
「ここまで津波が来ることは無い」
想定外の大きな地震にも、そう思っていたみたい。
まりんさんの言う通り、早い判断、そうできていれば・・・。
最近、全国的に大きな地震が多いですよね。
無事に生き延びる知恵・・
自分も考えていかなければと思います。
Re: タイトルなし
さとちん へ
さとちんも大変な思いをされましたね。
原発、余震が続く中、アタシも心配でした。
娘さんを連れて帰ることができる場所があって、
実際に帰ることができて、さとちんはラッキーです。
「大げさな人」って、言いたい人には言わせておけばいいんです。
自分の判断で行動する、それが結果としてどう出たとしても、
それでいいと思います。
> すべてが指示待ちでは命を落としかねません。
その通りです。
アタシ、職場の許可が出るまで、娘のいる中学校へ迎えに行かなかったのですが、
それをいまだに悔やんでいます。
> あかりちゃんがお嬢さんたちと一緒にいたのは正しいと思います。
> あかりちゃんの同僚の方のご家族に何も起きなかったからよかったですけど
> もし万が一ということはあるものです。
> 後で後悔するようなことを選択してはいけないと思います。
娘からは
「お母さんは迎えに来ないと思ったよ。職場大丈夫?仕事に戻ったら?」
と言われました。
「こんな時に、会社なんてなんぼのもんじゃ!!無視じゃ!」
と答えました。
もし将来、娘が何かの災害に遭った時、母親がどう行動したか、
覚えていてほしいです。
> そして、大川小学校の皆さんのこと本当にお気の毒です。
親御さんの気持ちを思うと、つらいです。
だって、ほかの小学校の児童生徒は無事なんだもの・・・・。
Re: タイトルなし
たんぽぽ・ママ さん
大川小学校の悲劇は、胸が痛みます。
子供を亡くした親御さんの気持ち、とてもわかります。
学校のすぐ前に、スクールバスが待機していたそうなんですよ。
それに乗るか乗らないか、決まらないまま、
バスの運転手さんには、会社から無線で「逃げろ」と連絡が入ったそうです。
バスの運転手さんも、逃げたけれども、亡くなったんですけどね・・。
自然災害は恐ろしいです。
阪神大震災では、大変な思いをされましたね。
アタシも、たんぽぽ・ママさんと同じように、
夫と交代で職場に戻りました。
その後、余震が治まってきてからは、出勤しました。
電気もガスもストップというなか、娘たちがスーパーに買い出しに走っていました。
> でも帰るとお母さんが仕事に行ったという保育園のお友達がわが家に遊びに来ていて驚きました。おばあちゃんの家まで送って行きましたが、万が一を考えだしたら怖くて何もできないですが、何とも言えない気持ちになりました。
仙台市は保育所を閉めなかったのです。びっくりでしょ。
市長(女性)の、震災後第一声が「保育所を閉めるな!」だそうです。
これから、地域ごとに小学校や公民館で避難民を受け入れることになるだろう、
そんななか、若い女性職員が活躍できるには、若い女性職員が働けるには、
自分の子供を保育所に預けられる体制じゃなきゃダメだ!
と判断したそうで。
なんとも言えない気持ちになる・・わかる気がします。
Re: タイトルなし
BBさん へ
「てんでんこ」で多くの人が助かった釜石地方。
釜石の奇跡と言われていますよね。
昔からの言い伝えの大切さを思いました。
先生も、一人を除いて皆、亡くなっていますよね。
悲しいことです。
子供さんを亡くした親御さんも、先生を責められない、と、
わかっていらっしゃるのではないでしょうか。
責めるわけではないけれど、過失はあったと認めてほしいと。
また、真実を隠蔽しようとするような、学校側の対応があったから、
信用ならない、となったのではないかとアタシは思います。
BBさんも熊本地震で大変な思いをされたのですね。
アクションは早めに、そうですね。
難しいのですけれど。
自分も、もう一度考えてみます。
Re: タイトルなし
つかりこさん へ
つかりこさんも、3.11の時は大変でしたね。
帰宅困難者、こちらももちろんで、職場に泊まってました。
帰れない人は。
パニック状態、確かにそうでしたが、
アタシの住むあたりでは、皆さんとても冷静でマナー良かったのを覚えています。
足の悪いおばあちゃんの家に、近所で声をかけあったり、
水が出る水道の場所を教えあったり、
足りないものを分け合ったり(近所の人と物々交換した)、
スーパーに並ぶのもきちんとしてました。
> 第一に家族の安否を気遣うのは当然ですよね。
> 皆さんがご無事でなりよりでしたね。
> 仕事どころでないですよね。
ありがとうございます。
ええ、仕事どころではありません。
>
> 学校の先生方もその時は最善の判断を下そうとしたのだと思います。
> 自身の命もかかっているのですから。
> 裏山の高台に逃げても、そちらに津波が来ないとは
> 誰にも予想できないですよね。
> でも、こういう災害の場合、誰かが責任をとらないと
> ならなくなるということでしょう。
大川小学校の裁判、遺族の方が
「他の小学校では全員無事なのに」
と思われるのもよくわかりますが、それ以上に、
生き残った児童への聞き取り調査の結果を、調査報告書に
意図的に載せなかったりしたことへの不信感が
あると、アタシは思います。
> 官庁からの依頼で、石巻の水産業の復興のお仕事を
> 手伝わせてもらっています。
>
> 2両編成の仙石線の車両から見える陸前の風景は、
> とてものどかで徹夜明けの体や目を癒してくれます。
> でも、よく見るところどころに不自然な空き地が
> あるのが目につきます。
> このあたりも津波にのまれたんだな、と思うと
> 微力だけどもっともっと応援してやろうという
> 気持ちになります。
兄ちゃん、だから、こちらにいらっしゃるなら、
早めに連絡を頂戴ってば~☆
徹夜ですって!お体をお大事にしなくちゃダメですよ!
でも、石巻のために頑張ってくださるのは、宮城県民として
嬉しいことです。ありがとうございます。
Re: タイトルなし
つばめとそらさん へ
大川小学校の件、
つばめとそらさんのブログで記事を読ませてもらいました。
とても、とても、気持ちが伝わってくる素晴らしい記事です。
本当にその通りです。
> 私の家族が大きな災害に直面したときに、どんな判断ができるだろう。
判断が難しいです。
同僚は、家に残してきた子供が心配で、大急ぎに家に帰る途中、
津波に飲まれました。
子供たちは、安全な場所に避難していて無事。
職場も無事。
移動したばっかりに、津波に飲まれてしまったのです。
お葬式にも行きましたが、彼女に帰宅の許可を出した支店長が
泣きながら謝っていました。
「絶対に帰るな、津波が怖い、俺がそう言って止めれば死ななかったのに」
なんとも言えない気持ちです。